リレーエッセイ

名古屋広告業協会会員によるリレーエッセイです。

2017年4月3日公開
第30回「岐阜の名産 飛騨牛との関わり」

日頃、会員交流委員会の活動に、会員の皆様には多数ご参加いただき有難うございます。今回は(株)近宣の井野口様からバトンを受け継いで(株)電通名鉄コミュニケーションズの臼井が「岐阜の名産 飛騨牛との関わり」について述べさせていただきます。

私は、1979年4月に旧名鉄エージェンシーに入社、約23年間クリエイティブ局で過ごし、以降は営業職を中心に15年間過ごしてまいりました。
その間、私が岐阜県岐阜市生まれなのか解りませんが、3回岐阜に転勤になり、合わせて約14年間勤務しました。


岐阜県側から見た北アルプス

1989年岐阜支店(旧名鉄AG)に、CRとして最初に配属されて以来、今日に至るまで岐阜を外れても飛騨牛の広告宣伝に関わってまいりました。
飛騨牛の広告宣伝に関わる最初のきっかけは、JA全農岐阜に岐阜米の広告宣伝の打ち合わせに米穀課に伺っている際、隣の部署の畜産課で岐阜県のブランド牛として飛騨牛を全国に認知拡大販促をしていくことになり、相談に乗ってほしいとお声掛けを頂いたのがきっかけです。


銘牛:安福号
 
白川郷

飛騨牛は、1981年兵庫県から但馬牛の雄牛(種牛)1頭:安福号を6500万円で岐阜県が購入し、その産子が素晴らしい産肉成績を収めるようになり、それまでは岐阜牛、飛騨和牛などの名称でよばれていた岐阜産和牛を安福号の血統を受け継いだ産子を岐阜県内で肥育し、統一名称で「飛騨牛」と呼ぶようになりました。岐阜のブランド牛として世に送り出すタイミングと、私が岐阜に配属されたのがちょうど同時期だったのもあり、まさかこんなに長い間、飛騨牛の広告宣伝に関わるとはその時には思いもしませんでした。
飛騨牛として統一呼称でよばれるようになって約36年になりますが、初期10年間の生産頭数は、年5,000頭にも満たず、全国に販路を広げるにはかなり苦労しました。
今では年20,000頭を優に超えるようになり、全国的にも知れ渡り、現在では海外数か国にも輸出するまでになりました。
飛騨牛が世に知られる大きなきっかけになったのは、2002年岐阜県高山市の岐阜県畜産研究所で常陸宮ご夫妻ご臨席のもと開催された第8回全国和牛能力共進会で精肉の部、種牛の部それぞれで内閣総理大臣賞と最優秀枝肉賞という最高位を獲得したことで一気に全国に名が知れ渡ることとなりました。

私も、会場のPRブース、PRイベントなどを当社で受注していたので、開催期間も合わせて約2週間、高山市内のホテルで宿泊してました。
ちょうど晩秋の頃だったので朝晩非常に寒かった記憶と全国のブランド牛の試食ができるチャンスだったのに、牛肉はおろか毎日おにぎりでしのいだ覚えが蘇ります。
近年では、和牛能力共進会の間に開催される、近畿東海北陸連合肉牛共進会においても最高賞を獲得しています。<神戸牛、松阪牛、近江牛を算出する県も参加する中での受賞>
*和牛能力共進会とは、5年に一度、全国の国産和牛生産に関わる人々が集まる国産和牛の品評会です。別名:牛のオリンピックと呼ばれ、開催地は10年前から立候補地から選抜され決定、開催期間は約1週間、約20万人の人が集います。(生産従事者だけでなく一般の方も会場に入れ、牛肉の試食、製品の購入、ステージイベントなどに参加できます。)


飛騨牛:牛たたき

飛騨牛が知れ渡るようになってからも、飛騨牛にとって辛い時期がありました。狂牛病、口蹄疫、産地偽装事件など飛騨牛の消費が激減する時期があり広告宣伝の有り方についてもかなり苦慮しました。
現在では、飛騨牛銘柄推進協議会<岐阜県・JA岐阜・生産組合・食肉組合・飼料組合でなる組織>でほとんどの広告宣伝活動が一本化されていますが、当初は、それぞれの組織がバラバラに活動していて一本化するのに、私が調整役に動くことも多々ありました。
日々、岐阜県畜産研究所は、優秀な(安福号の血統を継ぐ)種牛の生産を目指し安全・安心で、安定した飛騨牛の生産を担っており、種牛の雄牛は体重900キロ~1000キロ,雌牛で450キロ~500キロくらいで豊かな自然環境のなか育てられています。1,000キロは、サイの体重とほぼ同じです。
当社では、飛騨牛だけでなく岐阜のブランド肉、美濃ヘルシーポーク、飛騨・美濃けんとん、奥美濃故地鳥の広告宣伝にも携わってますが、生産量が少ないので知らない方も多いのではと思います。


飛騨牛:すきやき

最後に余談ですが、飛騨牛は、愛知・岐阜を中心に、飛騨牛料理指定店、販売指定店でお求めできます。
飛騨牛本来の味を楽しむなら、すき焼き肉を軽く塩胡椒して、軽く焼いて食べるのがお勧めです。
また、お買い求めの時期は5月・9月あたりが少しお値打ちな時期かもです。
お試しください。 有難うございました。

【著者紹介】

会員交流副委員長
株式会社 電通名鉄コミュニケーションズ
執行役員

臼井 正二(うすい しょうじ)