リレーエッセイ

名古屋広告業協会会員によるリレーエッセイです。

2014年1月23日公開
第2回 ご無礼します。

リレーエッセイ第1回の筆者、松良 “honey” 宗夫先輩からのご指名により第2回目を担当させていただきます、中山と申します。

「申します」と一方的に言っても、全くお会いしたことがない方も多いことでしょうから、軽〜く自己紹介をさせていただきますと、1958年・長野県生まれ。 1982年現在の会社に入社すると程なく名古屋に配属になり、以来ずっとこの地で暮らしています。 現在はクリエーティブディレクターという職務にありますが、美大出身ということもあり、広告人としてのスタートはデザイナー(イマドキはADと呼びますけどネ)。 なーんて書き出すと、いかにもアート大好きな美大系クリエーターとか思われがちですが、実のところ美術とかアートとかにはあまり詳しくありませんし、特に興味がある訳でもなかったりします(笑)

そんな僕が、もっともらしくオシゴト周りのテーマについてお話ししたところで、あっという間にボロが出てしてしまいそうなので、この「名古屋広告業協会HP」に因み、「名古屋」にまつわるユル〜いお話をさせていただきたいと思います。

1982年、名古屋という街にやって来て最初に感じたのは、月並みながら、初めて耳にする不思議なコトバへの驚きでした。
最初に乗った地下鉄の中で、女子高生たちの交わす「昨日はケッタ乗って来たもんで、一緒に帰れんくてゴメンね〜」「なにぃ〜、全然気にしとらんてぇ〜」という会話を耳にした時の衝撃は、今もしっかりと胸に刻まれています。
職場でも、初出勤の日、初めて上司にかけていただいたコトバが「おー、あんたきゃあ新人ちゅーのは。まぁよぉ、まだあんまりやることあれせんで、その辺でウダウダしとってちょ」でした。 う~ん、これは中々スゴイところに来てしまったかも…、と思ったことをよく覚えています。
また、最初のオシゴトでクライアントさんの担当者の方から「セールの商品が変わったもんだで、この原稿、まるっとナブったってちょ」と言われ、意味が分からずニコニコしていたところ、隣にいた営業サンから「何ウレシそうな顔してるんだ、全面改稿だぞ!」と睨みつけられたことも、今は懐かしい思い出です。
そして気がつけば、今や我が家の娘達はあの時の女子高生同様、不思議なコトバの数々を自由に使いこなし、何より僕自身、そのことをちっとも不思議に思わなくなってしまっていたりします。
ホント、我ながら変われば変わるものだなぁ…と。

そしてもう一つ、あまり変わらないもののお話。
名古屋には30年来ずっと通い続けている大好きな町があります。 かつて、ユーミンやアルフィーを始めとした多くのミュージシャンが、名古屋を訪れた際には必ず立ち寄り「掘り出し物チェック!」に勤しんだと言われる町、大須です。
今でこそ色々なジャンルの、プレミアム性の高い希少・貴重な商品が数多く集まるお買い物スポットとして、すっかり有名になった大須ですが、当時の大須界隈には、今で言うところのVintageといった価値観はまだほとんどなく、例えばGibsonやFenderといった海外の有名なブランドの貴重なギターやベースも、古いとか傷があるといった理由で、国産のコピー商品と同じか、時にはソレ以下の値付けをされることが少なくありませんでした。 当時まだ現役だったレコードの類いや、後年とんでもない価格で取引されることになるヴィンテージ ジーンズ等も同様です。
世の中的には「観音様の近くにある、中古品や質流れ品をいっぱい扱っている、ちょっと時代遅れな商店街」(家具屋さんや電気屋さんが多いことでも有名でした)といった認識だった大須ですが、それでなくてもチョー音楽好き&赤貧美大生生活の長かった僕にとっては、ずっと憧れていた音源や楽器が、タイミングにさえ恵まれれば信じられないような値段で買える、まるで埋蔵量未知数の金の鉱脈のようなエリアで、赴任後5年間くらいは、最低でも週2回以上のペースで通っていたものです。
(にしても、当時から大須に目をつけていたユーミンやアルフィー、恐るべし!)
1980年代、おそらく国内最強レベルのお宝発掘スポットであった「米兵」や「質屋会館」といった有名店も、今や「Komehyo」「大須セブン」といった小洒落たリユース ショップに姿を変え、町自体すっかりイマドキの町らしく進化を遂げた大須ではありますが、大須観音を中心としたあの独特な町の雰囲気や、複雑に入り組んだ小さく個性的なお店群が醸し出す不思議なエネルギー感はいまだに健在で、結局、今もなお気がつくと若者の波をかき分けながら町中を歩き回っている、不動のお気に入りスポットNo.1だったりします。
ホント、大好きなものっていつまでも変わらないものだなぁ…と。

最初のうちは驚くことや戸惑う場面が多く、馴染みにくい街かも…と思ったこともありましたが、暮らし始めてみたら意外な程楽しく、過ごしやすいHome groundに変わっていった名古屋。 今やすっかり大好きになってしまったそんな名古屋のために、これからも広告というフィールドを通じて微力ながら貢献していかれたらと思っています。

それでは、今回はこのあたりでゴブレイさせていただきます。

【著者紹介】

広告価値向上委員
株式会社電通中部支社
クリエーティブ・ソリューション局長

中山 昌士(なかやま まさし)