リレーエッセイ

名古屋広告業協会会員によるリレーエッセイです。

2014年7月8日公開
第5回 妄想

廣告社(株)名古屋支社の戸松と申します。 (株)博報堂中部支社 原野支社長のご指名で第5走者を走らせていただきます。
名古屋市出身の私は1980年に名古屋支社に入社し、名古屋→広島→名古屋→広島→名古屋と名古屋支社・広島支社を2往復しました。 現在私の住民票は広島県廿日市市(はつかいちし)となっており、単身赴任による家族との遠距離別居ももうすぐ6年目を迎えます。 廿日市市と言ってもほとんどの方がそれ何処と思っていらっしゃるので、簡単に説明させていただきます。
広島市の西隣の廿日市市は人口12万人弱で、世界遺産「厳島神社」の宮島があり、マイナーですが「けん玉」発祥の地です。 「けん玉」は今年のヒット商品のランキングにも紹介され、また最近ではアメリカにはプロもいて、今年7月12・13日は廿日市市でワールドカップも開催されます。 その他の名産は、もみじ饅頭・しゃもじ・牡蠣でしょうか。 ちなみに、もみじ饅頭は宮島で最初に作られ、その後広島の各地に広がり、今では広島土産の定番になりました。


厳島神社

さて、自称「歴男」の私の知る限り、愛知県と広島県は戦国時代から幕末にかけて深い縁で繋がっていますので、ご紹介します。
ご当地尾張・三河は、言うまでもなく天下布武により日本統一を実現しようとした戦国時代の革命児「織田信長」、戦国時代を終焉させ絢爛豪華な安土桃山文化を開花させた「豊臣秀吉」、264年と言う長期安定幕府を作り上げた「徳川家康」を輩出した地です。 この3武将の当面のライバルであった甲斐の武田信玄が胃がんで病死し、続いて越後の上杉謙信も脳溢血で病死。 摂津石山本願寺と和睦した後の最大最後のライバルは、広島が本拠地で、西日本最大勢力(現在の広島県・山口県・島根県、鳥取・岡山県の一部が領土)の毛利家でした。 毛利元就亡き後、後継者であった隆元も若くして病死(毒殺?)し、その跡を継いだ隆元の遺児、若年の輝元をサポートしたのが吉川元春・小早川隆景の両川(りょうせん)と言われる元就の次男・三男です。 いわゆる3本の矢の教え通り(諸説あり)に支えあったわけです。 信長が本能寺で横死後、秀吉と毛利家は和睦をし、毛利輝元・小早川隆景は豊臣家を支える五大老にもなりました。 しかし秀吉の死後、関ヶ原の合戦の際に、毛利輝元は大阪城にとどまり静観を決め込んだのですが、敗れた西軍の将ということで、切腹・お家断絶は免れましたが、120万石から周防・長門(山口県の一部)の36万石に減俸され、領土も1/4以下となりました。


安土城跡
 

関ヶ原の後の広島城主は、尾張出身の福島正則で、広島湾を埋め立てて干拓を行い、商業を発展させ、今の広島市の基礎を築きましたし、福島正則が改易された後には、秀吉の正室となったおねを養女としていた浅野本家が幕末まで広島藩を継ぐことになりました。 ちなみに浅野内匠頭の刃傷沙汰が発端となった有名な赤穂浪士討ち入り事件の播磨浅野家は分家となります。
そして関ヶ原の合戦から267年後、大村益次郎・桂小五郎・高杉晋作らを擁する毛利家の長州藩が薩摩・土佐藩等と尊皇攘夷を掲げ、徳川幕府を倒したことは、歴史の因縁です。
最近では、中日ドラゴンズの谷繁選手兼任監督は広島県庄原市東城町出身で、谷繁元信球歴館を訪れた時にはご両親が見ず知らずの私たち夫婦をもてなしてくださいました。 その中日ドラゴンズの達川・長嶋両コーチは元広島カープですし、カープの堂林選手は中京大中京の甲子園優勝投手で・・・。 きりがないのでこの辺でやめておきます。


広島城

広島に半分足を突っ込んでいる私ですが、ここ数年、年に3~4回程度京都市に行きます。
いわゆる「ひとり京都」です。一人で京都に行くと言うと、「京都にいい人がいて逢いに行くの?」とか、「本当はいい人と一緒に行くんじゃないか?」とか言われますが、一人で公共交通機関を使って京都めぐりをします。

JR東海の「そうだ京都、行こう」キャンペーンのビジュアルに妄想を掻き立てられ、四季折々の季節の中、静寂に包まれた寺社・仏閣で、仏像・絵画・庭園などを愛で、「はんなり」を五感で感じることを期待し京都に行くのですが・・・。
産寧坂辺りは修学旅行生が、嬌声を発しながら道幅いっぱいに闊歩するので、うるさいし、四条烏丸の交差点は信号待ちの人が、歩道から道路に溢れんばかりで危ないし、有名寺社仏閣は拝観する人の長蛇の列で、仏様に近づくのも難しく遠目にアイコンタクトする程度・・・。
京都は観光客が多すぎると愚痴っている、そんな私も年間約5000万人が訪れる観光客のひとりですが・・・。
京都に引き寄せられる理由は、多くの観光客も同じかと思いますが、やはり歴史を観て感じ取れることです。 歴史は嘘をつかない!京都は平安時代から幕末に至るまで、ある時は政治の中心であり、ある時は権力の中心となり、ある時は抗争の中心でした。 現存している寺社仏閣は、栄枯盛衰を繰り返した長い歴史と共に今に至るわけで、歴史とともに佇んでいる寺社仏閣を訪れると「よくぞ今日まで残っていてくれました。」と言う感謝の気持ちになります。 京都へは今年中にあと2回ほど行く予定ですが、来年からは南都奈良を攻めようと思っています。


京都御所 紫宸殿


伏見稲荷

もうひとつ歴史をめぐる趣味は、城郭・城跡・古戦場めぐりです。これは「歴男」の私にとって聖地巡礼です。 まだ道半ばですが、国宝天守閣はご当地の犬山城はじめ姫路・彦根城、重文天守閣は丸岡・松江・備中松山・松山城を訪れました。 その他、再建天守・模擬天守・城跡は、南は九州から北は奥州まで所々機会があれば訪れ、古戦場も水攻めで有名な備中高松城・天下分け目の関ヶ原・秀吉逆転勝利の賤ヶ岳等訪れました。 城跡を訪れると実際にそこに在った天守閣・櫓等を頭の中でイメージし再現したり、古戦場を訪れるとそこで何百年も前に実際に行われた何千・何万人もの合戦を頭の中でシミュレーションしたり等と、妄想が暴走します。


姫路城 平成の大修理「天空の白鷺」

熊本城 宇土櫓

妄想もきりがないので、この辺りで第6走者の方にタッチしたいと思います。 稚拙な文章にお付き合いいただき、有難うございました。 もし妄想にお付き合いしていただく方がいらっしゃれば大歓迎です。 是非お声をかけてください。ご一緒に妄想族になりましょう。

【著者紹介】

幹事・広告価値向上副委員長
廣告社株式会社 名古屋支社 取締役支社長

戸松静彦(とまつしずひこ)