名古屋広告業協会会員によるリレーエッセイです。
2015年4月15日公開
第11回 ワインあれこれ、独り言ち。
こんにちは。
アサツー ディ・ケイの渡辺支社長からバトンを受けました、大広名古屋支社の西村です。第11走者を務めさせて頂きます。途中滑ったり転んだりすると思いますが、何とか区間完走だけは致します。
昨年4月に名古屋へ赴任しました。この拙文が掲載される頃には名古屋生活1年が経ちます。初めての土地「名古屋」に不安と期待を抱えながら赴任した自分を振り返ると、戸惑いながらも毎日が新鮮で充実した1年を過ごしてきたと思います。
「好きな食べ物は?」と聞かれるより、「名古屋の食べ物は口に合いますか?」と聞かれることが多かったです。 多くは「味噌味」のこと指していました。答えは「ぜんぜんOK!」。 色々なもの美味しく食べたり飲んだりしています。でも、その味噌味を逆質問したら、「そりゃ小さい頃から食べていたから・・・。 でも、普段余り食べないよ」と返ってきたりするのですよね(笑)。
本当は好きな食べ物を聞いて欲しかったりします。即座に「鮨」「蕎麦」「エスニック料理」そして食べ物じゃないけど「ワイン」とお答えします。ちと強引ですが今日はこのワインにまつわること、独り言ちります。
好きなだけで、詳しいとか、ましてや資格を持っていたりする訳ではありませんのでご寛容願います。
グラス1杯目>>>生産国に想いを馳せる
イタリア、フランス、スペイン、アメリカにアルゼンチン。生産量の筆頭順です。他上位にチリやオーストラリアも入って来ます。生産量は多くないですが意外なところでは、イスラエルやタイなんかでも造られています。フランスでの格付けとか、醸造方法とかウンチク的な難しい話しは放っておき、私の価値観は「日常の食事にも無難に合うか」が主だったりします。自分の好きなワインであるなら国・地域に区別はありません。経済や外交とか別問題でそれぞれの国へ気持ちを通じさせてくれるのがワインの魅力の一つです。日本ソムリエ協会によると生産国は50ケ国にも上るとされています。生産国と言えば日本も勿論そうですし、見過ごしがちですが隣国中国もそうで、実は相当な生産量を誇ります。ただ、生産量≒輸出量≒日本の輸入量とはいきません。そのため日本での馴染みとなると、上位国が占めるのが現状です。
ワインを飲みつつ、ラベルを眺めながらその国をイメージして想いに耽ります。例えばオーストラリア産と一口にいっても国土自体が広大で、ましてや大都市シドニーやキャンベラ等で造られている訳ではありません。生産者や醸造所はどんなところに所在するのだろう?どのような街・村なのだろう?そこはどの様な空が拡がり、見渡せる風景はいかなるもので、人々はどういったリズムで日々過ごしているのか。どんどん妄想が繰り広げられます。その妄想を重ねていくうちに、その国・地域、その街・村へ一度足を運びたくなります。
素人の好きが高じてのことなので多くはありませんが、今までにアメリカではカリフォルニアのナパバレーやソノマバレー、サンタバーバラ。フランスではブルゴーニュとボルドーといった定番へ。オーストラリアではケアンズを訪ねました。我が国日本では、山梨甲府や長野軽井沢と山形庄内、変わり種では静岡修善寺といったところです。余り脈略はありませんね(笑)
グラス2杯目>>>造り手に敬意を表する
ヴィンテージ。いわゆる生産年といったものがあります。これがまた奥深さと難しさを引き出します。フランス・ボルドーでの一例なら1988年とか1995年ものが当たり年として出来が良く、イタリア・トスカーナでは2002年ものとか。私には覚えきれる類ではありませんが、ワインに精通されている方々にとっては基本情報のようなものです。出来栄えの差はワインそのものの価格に表れて、同一ワインでも一年違うだけで流通価格が3倍4倍と違ってきたりします。農作物と見れば、それこそ日本の野菜や果実類もその年における天候等の状況により大きく左右されるのと同じ現象に違いありませんが。
良い年とされるヴィンテージのワインは確かに美味しいというか、仕上がりが良いように思います。レストランでもそれを理由に薦められることもあります。しかしながら、やはり価格にしっかり表れていて手が出せないことが多いです。しかし、そのような場面でも楽しめる方法があります。発想的には逆手に取るというか、開き直りのような手段なのですが。
ズバリ言うと、レストランでも店頭でも同一ワインで出来の悪いとされるヴィンテージを選ぶのです。造り手として評価されているという前提ですが、相対的な感覚も相まってグッとリーズナブルに嗜んだり手に入れたり出来ます。
どんな年でもワインを造る工程は毎年同じです。ブドウ畑のコンディションを整えながら水やりを始めとした毎日の地道な作業を続け、秋にブドウを収穫して醸造へと進む一連の工程。当たり前だけど、ワイン醸造家の方々が一番その年のブドウの実態を理解しています。ワイナリーにお邪魔した際に聞いた話しですが、「ブドウの出来が芳しくなかった年」のワイン造りにこそ気持ちが入るそうです。出来の悪い子供こそ可愛いのと同じだとか。なんとかして、一人前にして世の中に送り出してやろうと。世の誰の手に渡るかも判らない中で、樽から瓶詰された一本を手に取って飲んでくれる相手や場面をイメージして丹念に手をかけるそうです。
それがたまたま私だったなら造り手の方に申し訳ないのですが、コルクを開けた瞬間からその醸造家の方のメッセージが香り立って来るような気がします。
時空間を超えて造り手への妄想に浸れる瞬間ですね。
グラス3杯目>>>ソムリエという仕事に共感
ワインの世界に強い関心を持ったきっかけが有ります。まだ30代の頃、当時親交のあったソムリエが自身の仕事をこう語りました。「ソムリエというサービスマンにとって大事なのは常識に囚われないこと。お客様が100人いればサービスも100通りある。ソムリエにワインの知識が必要なのは、そんな100通りのサービスをするためのもの。知識を披露するのが仕事じゃないよ。」
「例えばレストラン。男女のカップルが来店されたとする。このお客様はどのような方々なのか?夫婦なのか、友人同士なのか、会社の上司部下なのか、取引先の接待なのか。お腹は空いていらっしゃるのか。ワインはお好きなのか、それともワインを本当は飲みたくないのに、レストランだから頼まなきゃいけないと思っていらっしゃるのか」と、先ずは必死になってお客様を観察することから始めるのだと。
その時ハッと気付かされました。これはまさしく広告・メディアのビジネス価値観そのもの、顧客や取引先に提供するサービスそのものだと。扱うものがワインか否かの違いだけなのだと。年の頃30過ぎ。少しばかり広告の仕事が分かって来た当時の私は強く共感したことを覚えています。何か文字にすると当たり前過ぎて恥ずかしい限りですが。
単純にこの価値観が好きなんですね。それから時は過ぎて2015年4月、名古屋生活1年経過。嬉しいことに、ここ名古屋でも同じ価値観で通じ会えた人が多く現れました。日常の仕事でお会いする方々とは違う、多方面の方々と出会えたことに感謝です。
そんな方々と「ワインから視たナゴヤメシ」なんていうテーマで真面目に語ったりすることもあります。
まだまだこれから、ここ名古屋で魅力的な方との出会いに期待が膨らんでいるところです。
グラス3杯目が空きそうです。ボチボチ切り上げないと本格的に酔っ払って来そうです(夜毎よくあることですが・笑)。
それでは、皆さまにギリギリ完走したと認めて頂いて、次の12走者にバトンを渡したく思います。
ありがとうございました。