名古屋広告業協会会員によるリレーエッセイです。
2016年7月25日公開
第23回 「橋の下」から未来が見える
「あんたは、うちの子ちゃう。橋の下で拾ってきた子や」
子どもの頃、悪さをすると決まって母から言われた台詞です。
しかも近所の橋の名が「鵺塚(ぬえづか)橋」。
日本古来の由緒正しい妖怪の屍骸が埋められているという伝説のある場所で、如何にも気持ち悪い。
子供の恐怖心を煽るにはもってこいでした。私にとって「橋の下」は斯くも怪しく恐ろしい場所としてインプットされてきたのです。
ところが、「橋の下」。
今、結構な注目スポットになってるのをご存知でしょうか?
しかも、地元も地元。この愛知こそがその舞台。
場所は豊田市豊田スタジアム前「豊田大橋」。
その橋の下が舞台です。
勿体ぶった書き方になってしまいましたが、ここで開催されている「橋の下世界音楽祭」が今、じわじわと注目を集めています。
実は、この音楽祭、今年でもう5年目になるそうです。
私は昨年、初めて参加させてもらったんですが、驚きました。
どちらかと言えば、保守的、慎重と思われがちな名古屋の地で、こんなラジカルでやんちゃなイベントが開かれていたなんて!!
唖然、茫然、陶然です。
すっかり虜になってしまい、今年も5月の最終週の週末に参加してきました。
ただ、この音楽祭、いわゆる著名ミュージシャンが参加していないためか、マス媒体に載ることがほぼ皆無、ほとんどの人が知りません。
会社で若い奴らに話しても「何ですか、それ?」って調子。
こんな面白い、世界に誇っていいイベントが地元で知られていないなんて、ほんと勿体ない。
と言う訳で、勝手な個人応援団として、この場をお借りして少し紹介させていただきます。
この「橋の下音楽祭」、ひと言で言うと、「国境を越えて自由人たちが豊田大橋周辺に集まる、何でもありの一大手づくりお祭り」といったところでしょうか。 手作りの筆頭がなんと電気!いくつものステージがあり、露店も並ぶ祭ですが、電気はなんと河原に並べたソーラーパネルで賄っています。 できるものは自分たちでやってみよう!というのが、どうもこの祭りのルールみたいで、舞台も櫓も何もかも廃材などによる手作り。 ついで、入場料がなんと無料!!厳密には投げ銭制で、好きな金額だけ寄付してもらえればよく、2千円払えば手ぬぐいがもらえます。 タダだから、塀も囲いも何にもない。3日間、いつ来ていつ帰っても良く、いつでも楽しめます。 しかもインターナショナル!どういうネットワークなんだか、海外から来てるミュージシャンがいたり、国内も青森から沖縄まで、民謡からパンクロックまで、ありとあらゆるものがごっちゃまぜです。 おまけに出店が実にユニーク!エスニック料理なんて当たり前。 驚くことに、鍛冶屋があります。五右衛門風呂屋があります。 生きた鶏をその場で捌いて調理する料理教室があります。 割り箸でつくったピアノ演奏があります。 歌舞伎があります。 阿波踊りがあります。 様々な屋外アートがあります。 しかも動いたりするから、子供たちが目を輝かせながら遊んでいます。 そして何より、普段見れない人たちが観れます(笑)。 「この人たち、普段何してるんだろう?」「どこから来たんだろう?」とまぁ、そんな人たちだらけです。 服装もみんな個性的。Tシャツにジーンズの自分が芸がないなぁ、と嫌になります。 そんな文化のカオスみたいな、何でもあり自由気ままなお祭りが「橋の下世界音楽祭」なんです。
しかも驚くことに、会場にはゴミ箱がありません。 基本、自分で持って帰るか、お店に返す。 イベントでよく見る、あふれかえったゴミ箱がここにはないんです。 みんながルールを守ることでクリーンに保たれてるんですね。 運営はすべてボランティア。 中心にいるのが、この祭りの主催者にして、地元が誇るミクスチャー・バンド、タートル・アイランドのリーダーです。 法被を着ている人が多いんですが、たぶん地元の仲間なんでしょうね。 参加者みんなが彼の思いに応える形で運営されています。 世界に冠たるトヨタ自動車のお膝元でこんな突拍子もないお祭りがなされている。 しかもお巡りさんはひとりもいない。 まさに奇跡的にスゴイお祭りとしか言いようがありません。
ところで、今、CDが売れません。 パッケージ音源は衰退化してゆく一方です。 その反面、フェスに代表される音楽イベントは増える一方。 若い人の娯楽のひとつとして、すっかり生活の一部に定着してきたようで入場者数もウナギのぼりです。 20世紀はコピーの時代と言われましたが、もはやコピー自体を気軽に誰でも楽しめる21世紀は、再現不可の一度きりの体験を「共有する」ことに新たな価値を見出しているのかも知れません。
「ライブ公演数推移」「入場者数 推移」 ともに一般社団法人コンサートプロモーターズ協会調べ
はからずも「橋の下世界音楽祭」はそんな時代の象徴に思えてきました。 協賛スポンサーに大手なんてひとつもないし、広告も見かけません。 純粋に応援団なんだと思います。 マスに載ることもなく、ネットを通じて情報が拡散され、世界中から人が集まり、地元の人たちとともに祭りを作っている。 そこには参加者も演者も区別がない。 まさに新しい祭りの誕生なのかも知れません。 「大きなことをするにはお金が掛かる。 そのためには広告という形での協賛が必要です!」なんて理屈は、もはや過去のもののような気がします。 このことは広告屋の危機なんでしょうか?「否!」。 人と人を繋ぐのが我々のビジネスならば、この猥雑さの中にこそ、きっと次のヒントが隠れているに違いないと踏んでいます。 歌舞伎が河原から生まれたように、「橋の下」から次の何かが生まれるんじゃないか。 そんな夢を是非、一度観に来てください。
「橋の下世界音楽祭2016」
http://soulbeatasia.com/
去年の写真ですが全体の雰囲気がよくわかると思います。
http://blog.masashinoda.com/?eid=401