名古屋広告業協会会員によるリレーエッセイです。
2016年12月16日公開
第27回「少年サッカーコーチの独り言」
オリコム有吉と申します。
三晃社川村社長よりバトンを渡されました。川村社長との関係は、以前放送局に勤務されていた時代に局担をさせていただいており、それ以来27年間お付き合いさせていただいております。名古屋の地で再会を果たせたのも何かしら縁を感じております。
私の簡単なプロフィールですが、平成元年に入社し22年間テレビ・ラジオ畑を経験、その後4マスの担当を3年。直近の2年間はOOHメディアを担当し、4月から名古屋支社に赴任いたしました。
さてどのような内容を書かせていただこうかと迷いましたが、名古屋支社に来るまでの2年間、小学校のサッカーコーチをやっておりましたのでそのお話をさせていただきます。
当時(2年前)小5の長男が、小学校のクラブチーム(「F.C.Nadeshiko」という一見女子チームのような名前ですが、れっきとした男女混合チームです)に入りたいというのでクラブの見学に行きました。長男は入る気満々!その際にコーチの方々から「コーチの人数が足りてなくて困っている」という話がでました。そこへ家内がポロッと「主人は高校までサッカー部でしたので是非協力させていただきます!」と言い切ってしまいました。それ以来「週末(土日)・GW・夏休み・年末年始・春休み」サッカー漬けの生活が始まりました。最初は部員の名前を覚えるのも大変。休みはほとんどなく土日は朝から夕方までびっしり。平日は、ほぼ連日連夜宴会をやっていた私にとって非常に厳しい週末となりました。
一口にサッカーコーチと言っても様々な役割があります。技術的・戦術的コーチング、礼儀や整理整頓、遠征同行、東京都のブロック内ミーティングや研修会への参加、公式戦の審判、他校と練習試合の設定など多岐に渡ります。コーチのメンバーは父兄コーチ4名と、コーチングの資格を持ったコーチ1名の合計5名でした。私は技術的なものより精神的なもの(挨拶や練習態度の指導)や、試合の審判が中心でした。
コーチを始めて直ぐに4級審判の資格を取得。審判をやるまで知らなかったのですが、少年サッカー(U-12)は8人制で、一人制審判を導入しております(大きな大会は4人制)。さすがに高学年となると足も速く、展開もダイナミックになります。特にロングパスを多く使うチーム同士の試合になりますと、両チームのオフサイドラインを行ったり来たりで息が上がります。微妙な判定も多く、心無い父兄からの審判バッシングも聞こえてきます!(それに対しては一切無視しておりました。気にしだしたらキリがありません)
しかし大変だったことばかりではありません。楽しかったのはコーチ同士の飲み会や、子供たちの父兄との飲み会です。お酒好きな方が多く1ヶ月に1度は飲んでおりました。最初は家内も「中々無い異業種の飲み会だから行っておいで!」と言ってくれておりましたが卒業が近くなるにつれ2週間に1度になり「また行くの??」と。その飲み会は今でも3ヶ月に1度続いております。
他には朝日新聞さん主催の「全国少年少女草サッカー大会(SHIMIZU CUP)」に参加したことも良い思い出です。8月中旬に5日間に渡り全国から256チームが集まり試合を行う大きな大会でした。さすがに5日間も子供たちと一緒にいると毎日泣いたり喜んだり。チームの気持ちがひとつになって更にコーチ業が楽しくなりました。そこで知り合った名古屋のチームの方がいて、今度こちらでお会いすることになりました。これまた縁を感じております。
名古屋に来ることが決まった時点(2月中旬)には、すでに4月から新4年生のコーチをやることが決まっておりましたが、名古屋転勤となり他の方にお任せすることになりました。転勤が決まった後も4級審判の資格の継続をしましたが、審判証は引き出しの中に眠っております。また数年後(何年後かはわかりませんが)に東京に帰任するまで資格は継続し、いつかまた子供たちとサッカーというスポーツを通じて触れ合う機会ができたらと感じております。
最後に2年間コーチをやって感じたのは、「教えている事は会社と同じ」でした。朝、帰りの挨拶「おはようございます/さようなら/お疲れ様でした」感謝の気持ち「ありがとうございます」対戦相手に「よろしくお願いします」初めて会う関係者に「こんにちは」。挨拶はとても大事です。将来子供たちが挨拶のできる大人になって欲しいと思い厳しく教えました。卒業後もコーチのことを思い出して、きちんと挨拶ができることを願っています。今も苦楽を共にした子供たちとコーチ仲間は私の財産です。