名古屋広告業協会会員によるリレーエッセイです。
2017年6月20日公開
第32回「神頼み」
吉川さんからのバトンを受け継ぎました中日アドレップの五十川と申します。 私は、昨年末中日新聞を定年退職しましたが、途中三重テレビに出向しておりました。 三重にいた時のことですが、私に信仰心(?)が芽生えた出来事を、拙い文章で綴らせていただきます。
旅行の話になりますが、我が家ではいつも昼の食事で揉めることが多いため、まず何をどこで食べるかを決めてからその日の日程が決まります。 京都の寺巡りも同じです。食事をどうするかを決めて、今日はどこの神社仏閣を回ろうかという段取りで、この日も、おばんざいを食べに行こうということになり、知人に聞いた河原町の小料理屋を予約、そこに向かう新幹線の中で、ガイドブックをめくっていました。 熊野の文字が目に飛び込んできました。熊野若王子神社です。熊野、熊野、あっ熊野古道と伊勢神宮、当時三重県に勤務していたからか導かれるものを感じました。 この神社、梛(なぎ)のご神木で有名とのこと、悩みごと・縁結びなどの祈願が叶うようでした。 宮司さんともお話しでき、「最近名古屋は行ってないけど、駅前がずいぶん変わったようですね」、などお声をかけていただき親しみも湧き、毎年初詣は、この神社の『梛御守』(梛の葉が入っている)を授かりに訪れるのが我が家の行事となっています。
熊野若王子神社前にあるご神木
この年の年末、伊勢神宮の式年遷宮が近づいていることもあって、会社で伊勢商工会議所が主催するお伊勢さん検定なるものを受けることになりました。これには、いわゆる検定本があって、その中から出題されるという方式です。三重に事業所を置くいくつかの企業で推奨されているようでした。
歴史好きな人、伊勢で育った人、まとまった学習時間が取れた人はまだ良かったのですが、試験が年末ということもあり、営業職場の人の多くは、検定日が忘年会時期と重なって、思うように時間が取れないまま検定を受けた人も多いようでした。しかし、さすがに営業職、結果はどうであれ受検したこと自体が営業のネタとなり、顧客と盛り上がったとの話も聞きました。何事も無駄にしないで楽しむ(?)のが営業の極意のようです。
私はと言えば、年号など覚えるのが若い頃から苦手で、記憶力には自信が無く、だんだんと気が重くなって来ていました。ところが、たまたま出席した三重県の観光キャンペーンの配布物の中に、伊勢神宮の図解風パンフと伊勢あんちょこ(伊勢神宮についてクイズ形式で学ぶもの=後に行ったおかげ横丁で売っていました)なるものが入っていて、夜ビールを飲みながら眺めていたら次第に伊勢神宮の全貌(大げさですが)が頭に入ってきた気がしたのでした。
検定“お伊勢さん”公式テキストブック
検定本によりますと、古代は「同床共殿」といって、天照大神は歴代の天皇により皇居の中に祀られていたものの、疫病や飢饉が発生したのを契機に、同床共殿では畏れ多いと皇居の外に祀られるようになったとのこと。垂仁天皇の時、その皇女で斎王となった倭姫命(やまとひめのみこと)は、より良い宮地を求めて都を出て伊勢の地に辿り着くのですが、大和を出発し、近江、美濃地方を巡り伊勢に入り、そして内宮を創建された、とありました。約2000年前の日本書紀の世界です。伊勢神宮といえば五十鈴川。私の姓の五十川は五十鈴川に似ていませんか?私は岐阜県美濃地方の出身ですし、先祖は琵琶湖の当たりの出と祖父が言っていたことを思い出しました。これはきっと倭姫命の足跡と何か関わりがあったのではないかと単純にも結び付け、古代に思いを馳せたのでした。
五十鈴川の御手洗場(みたらし)より川上を望む
こんな伊勢と自分をつなぐ妄想もあって身近に思えたからでしょうか、検定本は何とか最後まで読み通すことができました。そして検定当日は、本当にこれのおかげだと思っていますが、悩ましい4択問題を熊野若王子神社の『梛御守』に“なぎ倒して”もらい、ギリギリの点数で初級合格を手に入れることが出来たのでした。それ以来、このお守りは常に携帯し、何かにつけて(今は売り上げの事が多いですが)“神頼み”をしている次第です。
ご神木の梛の葉の入った御守