名古屋広告業協会会員によるリレーエッセイです。
2019年1月10日公開
第44回「The Scream」
株式会社広企プロモーションの服部様よりバトンを受け継ぎました、弘亜社の成田です。
バトンを握ったまま、既に1ヶ月。
何を書こうかと迷いましたが、最近、最も心を揺さぶられたムンク展について書こうと思います。
といっても、私には美術に関する知識や経験は、全くありません。
何事にも飽きっぽく、趣味を掘り下げるようなことが無い私が、美術館に通うようになったのは、最近のことです。
もともと、五木寛之の百寺巡礼をBSで観たのをきっかけに寺を巡り始め、そのうち仏像に興味を持ち、さらに国宝展や運慶展に出向いているうちに美術館や博物館に足を運び、ハマりました。
趣味が、浅いまま、ころころ変わるのです。
つまり、私の美術評も、浅く、的外れである可能性もあるので、ご了承ください。
先日、本物のムンクが初来日というので、東京都美術館へと出向いた。
本物のムンクではなく、ムンクの『叫び』だ。
私のとっては、あの火星人が強烈に叫んでいる様な絵がムンクであった。
名画の中でも、これほどアイコン的、またパロディ化されている絵画はなく、よく目にするのは、むしろそちらのパロディで、私にとっては、やはりあれがムンクだ。
ムンク展看板
今回のムンク展は、『叫び』の他、十代より晩年までの作品、約100点が展示される回顧展である。
まず、会場に入ると、約10点の自画像が展示してある。ムンクは、生涯約80点の自画像を残している。
19歳の自画像は、なかなかのイケメンであり、タッチは意外にも写実的だ。
また、自画像と共に多くのポートレートも残しており、なんと自撮り写真もある。
時は100年前だ。生粋のナルシストで、SNSがあったら、多くの自撮り写真がアップされていただろう。
私が最初に足を止めたのは、1895年の『自画像』だ。
遠目からの第一印象は、“カッコイイ”であった。
だが、それを間近にすると全く精気が感じられず、下部に腕の骸骨も描かれ、死をも連想させる。
ムンクは、幼少期より死が身近に存在した。
5歳で母が、14歳で姉が、26歳で父、32歳で弟がこの世を去っている。
また、31歳で妹が精神病院に入院しており、その壮絶な人生が自身の自画像にも色濃く影響しているとされる。
この黒い背景に、顔と骸骨と化した腕だけが浮かぶ『自画像』は「メメント・モリ(死を想え)」の警句を意味しているらしい。
まだ、32歳のムンクである。
1895年『自画像』
今回の目玉は、やはり1910年頃の『叫び』だ。
驚いたのだが、『叫び』は1枚でない。
現存するだけで、版画以外に4点あるらしい。
ムンクは、同じ題材で繰り返し画を書いている。
売れたら、また描く。
合理的だ。
かつて、日本にも来た『叫び』は、1893年のもので、最初の作品とされている。
今回のものは、最後に描かれた『叫び』らしい。
さらに「生命のフリーズ(フリーズは、建築物の装飾)」と名付けられた連作の1つということだ。
これまた驚いたのは、画の中心人物は、叫んでいない(叫んでいるという説もあり)。
ムンクは、下の文章を残している。
夕暮れに道を歩いていた ―― 一方には町とフィヨルドが横たわっている ―― 私は疲れていて
気分が悪かった ―― 立ちすくみフィヨルドを眺める ―― 太陽が沈んでいく ――
雲が赤くなった ―― 血のように ―― 私は自然をつらぬく叫びのようなものを感じた ――
叫びを聞いたと思った
つまり、画の中心人物は叫びを聞いて耳をふさいでいるのだ。
ムンクだけが感じた、自然をつらぬく叫び。
ムンクの人生や、他の作品から感じられるのは、“自然を貫いた叫び”とは、ムンク自身の、愛・嫉妬・孤独・絶望、そして死への恐怖など多くのままならない、生命の叫びではないだろうか。
やはり、あの画はムンク自身がそれらに絶叫している、まさに “ムンクの叫び”だと感じている。
1910年?『叫び』
生涯独身のムンクは、女性遍歴も特異であった。
最初の女性は、人妻。
また、友人と結婚した元カノと不倫するも、その彼女は、かなり奔放。
さらに独身女性とのヒモ的な生活に結婚をせまられ、彼女が持ち出したピストルが誤発砲し自分の指を吹き飛ばしたり。
嫉妬や絶望・孤独を繰り返し、満たされず、叫びたくなるのも無理はない。
そんな奔放で、ムンクを嫉妬に狂わせた女性を描いたとされる画、1895/1902年『マドンナ』も印象に残る。
この画の最初の印象は、官能的で“美しい”であった。
かつては、『愛する女』とタイトルをつけていたこともあるらしい。
しかし、じっくり鑑賞しているうちに印象が変わる。
左下には、穏やかではない胎児。
画の周囲は、精子で縁取られている。
女性の目が、だんだん落ち窪んで見えてきた。
マドンナ=聖母であるが、タイトルとこの画がどうも合致しない。
この女性は、既に死んでいるのでは、とさえ思えてくる。
ムンクは、「地上のすべての美――死が生命へと手をさしのべ――これから来る何千もの世代へとむすびつける」と記しているが、この画のキャプションとして、私にはしっくりこない。
ビジネス上の後付けと疑いたくなる。
実際、この画の前では、嫉妬と絶望の対象への想い、不吉な死のイメージばかりが強烈な印象として感じられた
1895/1902年 『マドンナ』
ムンクは晩年、故郷オスロに戻り80歳まで描き続ける。 晩年の作品(今回、見る限り)は、暖色系も多くみられ、どこか牧歌的な作品も多い。 晩年は、悟ったか、ビジネスに徹したかと思うのだが、私は狂気の画家と形容される20代後半から30代の作品が好きだ。 好きな作品を上げるときりが無い。 鑑賞中は、自らの狂気を客観視したような作品に、私の心も掻き乱された。 もちろん想像で、私の生活にその様なシチュエーションは存在しない。 誤解が無いよう、念のため。 2時間掻き乱されたのにも関わらず、外に出ると爽快。 むしろ楽しい気分になっていたのは、なぜだろう。 自分でも説明がつかない。 いつか、2万点以上のムンク作品があるオスロに行ってみたい。 また、次の趣味に変わっているかも知れないが・・・。