名古屋広告業協会会員によるリレーエッセイです。
2020年3月23日公開
第50回「ネイティブ名古屋クリエイター」
名古屋広告業協会のリレーエッセイということで新東通信の一井さんからご指名をいただきました電通中部の𡈽橋通仁(ドバシミチヒト)です。名字の「土」の右肩に「、」がつきます。名古屋の広告業界でネイティブ名古屋クリエイターとして育った私の視点から見る〝名古屋広告業のポテンシャル〟についてお話をさせていただきます。
私はこのエリアで生まれ育ち、社会人になってから名古屋の広告業界でずっと仕事をしてきました。実は20代半ばに名古屋を出て新天地で挑戦してみようかと思った時期もあったのですが、ちょうどクリエイターの先輩や後輩が東京やニューヨークを目指した時期と重なり、天邪鬼な性格もあって「名古屋に残ろう!」という選択をしました。当時まだ、若かりしデザイナーの私。名古屋に残るとき「自分が居る場所が、自分にとって最高のクリエーティブの環境」と決め、そこからさらに20年ほど名古屋の広告業界で仕事を続けています。そんな中、自分よりもポジティブ思考なんじゃないか?って思える人たちとたくさん出会えて一緒にたくさんの仕事を創ってきたことが幸せです。
地域とか、東京とか、海外とか。居るところで自分の心が揺れるのではなく、どこに居ても、どんな条件でもやりとげるクリエイターになりたいと思い、今ではそれぞれの良いところを客観的に見られるようになったと思います。
今回はずっといた名古屋の広告業界の良いところをお話させていただきます。
地域で活躍するクリエイターの方がおっしゃる、距離の近さは名古屋にもあります。
地域クリエーティブの良いところはコンパクト。ワンストップ、ワンチームで取り組んでいる姿勢をクライアントに近くでご覧いただくことができます。距離が非常に近いため、クライアントからお褒めいただいた言葉を私がスタッフに伝えなくても、そういった温度感はお互いすでに感じとっている場合があります。チームスタッフそれぞれがどこまで責任を持ってやることができるか。特に若い人にとっては、プロとしての緊張感が早い段階で身につく良い環境だと思います。私個人でいえば、クライアントと一緒にワンチームとしてクリエーティブ作業に取り組むたくさんの機会をいただけたことが貴重な財産となっています。
名古屋の広告業界はある程度の業界規模もあり、あらゆる業種も一通りそろっています。おかげでたくさんの種類の仕事を経験することができます。ひとりでやる領域も必然的に増えるから、意識さえすれば若いうちから統合的に考える力が自然と身につきやすい。
そんな中ふりかえってみると、私の仕事に対する価値観を最初に大きく変えてくれた仕事が「名大病院にドナルドマクドナルドハウスを建設するための2億円募金プロジェクト」です。マクドナルドハウスとは、難病のため長期入院している子どもに付き添うご家族のための宿泊施設で、特徴は〝病院から徒歩圏内にあり、1泊1000円で利用できる〟というもの。ハウス建設のために必要な費用が2億円不足しており、電通クリエーティブに「募金告知」をどうすればいいのかご相談をいただいたのが始まりでした。
コミュニケーション方法を構築しないといけないのですが、どうすれば募金って集められるのだろう?という状況からのスタート。 難病の子どもを支えるご家族を応援できるようなアイデアってなんだろうと考えぬきました。 やっとたどりついたアイデアを実現したい、けれども募金を集めるための広告に制作予算はかけられません。 後輩コピーライターの正樂地さんと悩んだ末、一緒に日頃お世話になっている地元クリエイターひとりひとりに協力のお願いにまわることにしました。 考えるだけではなく、動きまくろうと。するとお声がけした名古屋のクリエイターの方達全員が快く賛同してくれ、中には共感して涙ぐんでくれる人も。 地元クリエイターのやさしさに触れ、感動したこと今でも鮮明に憶えています。
新聞広告
Before/ハウス建設前の様子
募金前の様子で、病院の広いベッドに1人寂しく眠る子供。左の半切れページにはボディコピー。「新幹線などの電車をのりついで4時間かけて少年の看病に来るお母さんが、看病疲れで体調を崩し子供に会えなくなってしまったエピソード」が書いてあります。
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After/ハウス建設後の様子
半切れのページをめくると、少年に優しく寄り添う母親が現れるという仕掛けです。ハウス建設前の辛さと建設後の母子が寄り添う様子を描きました。ページをめくるアクションを通して、「募金をすることで、離れていた親子を近づける」 ことを新聞読者に疑似体験させ募金へのモチベーションをつくるクリエーティブ
この新聞広告の他にもムービーやラジオ、ポスター広告などたくさんつくらせていただけたのは、総勢50名を超えるクリエイターのみなさんのおかげです。私たちの制作物は募金活動の一端ではありましたが、約1年半の活動で募金額は目標金額にほぼ到達しハウスは建設されました。またうれしいおまけとして、このキャンペーンは30個以上の広告賞をいただくことができ、その賞金をすべて募金につなげることができたのです。クリエイター以外にも、メディアの方々、協賛企業の方々、多くの学生ボランティアのみなさん、そして当時の電通の仲間たちにも本当に感謝しています。なにより病院の先生やハウス関係者の方達のエネルギーがすごかった。どんどん人の輪が広がっていき、地域の社会現象になっていくのを体感しながらハウスの建設までを見届けることができました。クリエーティブの輪がつながっていく力を目の当たりにしていくうちに「広告の力ってすごい!」と、自分の中での仕事の価値観が変わっていくのをこの名古屋で体験しました。
付き添うご家族がお互いの悩みを話しながら料理ができるよう、配置が工夫されたキッチン
悩みを抱えたお母さんたちが開放的な気分で話せるテラス
建設されたハウスのお披露目会にご招待いただきました
さらにハウス建設後も。〝広告の力で人の人生は変わる〟と仕事の価値観を変えてくれたエピソードがありました。
同じ電通中部の鷲見礼子さんのお話です。礼子さんには英里子さんという妹さんがいます。妹の英里子さんは高校の時、膵腫瘍(すいしゅよう)という10万人に1人くらいがかかる難病を患っていました。その難しい治療をできたのは名古屋大学病院。英里子さんの手術は奇跡的に成功。退院した後、無事に高校生活をおくっていたある日、ふと英里子さんが新聞を読んでいると、さきほどご紹介したマクドナルドハウスの新聞広告が目にとまりました。深く感動した彼女は、高校生にとっては相当高額な募金をし、さらに自分の将来の夢を「難病の子を救えるような、お医者さんになろう」と決め、そこから猛勉強し、名古屋大学の医学部に見事合格!!その様子を見ていた姉の礼子さんも「広告の力ってすごい!」と思い、広告代理店への就職を希望し電通の会社説明会に参加したところ、偶然にも、私と正樂地さんがマクドナルドハウスの仕事紹介をしていたとのこと。入社後、そのエピソードを聞いた私も正樂地さんもびっくり。〝広告の力で人の人生は変わるんだ!〟とさらに仕事への価値観が変わりました。今は礼子さんと一緒に同じフロアで働いています。我々が制作した新聞広告の提案を喜び、その新聞広告を手配りしてくださっていた名古屋大学医学部の先生に、妹の英里子さんが指導を受けていると聞いた私は、コンパクトな名古屋だからこそ生まれた縁を感じました。英里子さんは、志したお医者さまになるため今も毎日猛勉強を続けています。その勉強に対する取り組みの姿勢を聞くたび、勉強が大の苦手だった私は、ただただ話に圧倒されるばかりです。そしてこのコラムを書いている最中に、英里子さんから「無事に国家試験に合格できました。長年の夢であった医師として4月から働けることを、大変嬉しく思います」と連絡をもらいました!名古屋でがんばってよかった…。
奇跡をおこした鷲見姉妹!!
(左が姉の礼子さん、右が妹の英里子さん)
もちろん他にも想いが深いお仕事はたくさんあり、その全部をご紹介すると一万字をゆうに超えるのでハウスのお仕事だけで終わります。地元名古屋の広告業界でおこった奇跡体験。「広告の力ってすごい!」と常に信じてチーム一丸となりポジティブに進んでいきたいと思います。長文を読んでいただきありがとうございました。