リレーエッセイ

名古屋広告業協会会員によるリレーエッセイです。

2021年5月14日公開
第56回「学童野球と私」

オリコム名古屋支社の横田です。
電通名鉄コミュニケーションズ齊戸様よりリレーエッセイのバトンを受け取ることになりました。 2020年4月に東京から赴任してまいりました。 すぐに第1回目の緊急事態宣言があり、その後もリアルで会う機会が減ったこともあり、会員各社様ともご挨拶のできないままあっという間に一年が過ぎてしまいました。 今後、ご挨拶させて頂ける機会があれば是非お願い致します。
とは言え、この場を借りて簡単に自己紹介させて頂きます。 兵庫県尼崎市に生まれ、中高校は西宮の学校で甲子園出場を目指しておりましたが、夢叶わず。 その後、東京の大学でも体育会で野球を続けていましたが、選手としては何も残せないまま卒業し、オリコムに入社しました。 小学生から大学卒業まで野球を続け、社会人でも草野球に没頭しており、年齢とともに草野球の機会も減りこのまま野球とは関わらずに人生を終えるのかと思っておりました。

そんな自分に転機が来たのが4年前。
自分の息子が学童野球をすることになりました。 子供がお世話になるだけでは申し訳ないと思い、親としてもまずはお手伝いから始めたものの、コーチ、監督へと段々とポジションが上がっていくことになってしまいました。 チーム活動は以前から日曜日のみの週1回。 当初はなかなか勝てない弱小チームでしたが、同級生のコーチが増えたこともあり、当時4年生だった子供の代を強いチームしていけないかという思いが周りのスタッフと合致し、3年計画で6年生を迎える2021年に良い成果を目指した活動が始まりました。
とは言え、なかなか成果も上がらず、4年生時代、5年生時代と時間だけが過ぎ、なかなか成果が出ずに苦労しました。 自分の役割としては、活動日だけではなく、事前に相手チームとのやりとり、保護者への連絡、区大会やその他大会・リーグ戦の調整、グラウンドの予約等、事前調整を行う日々でしたが、仕事柄調整ごとに関しては嫌いではなかったため自分に向いていたのかもしれません。

また、当時のスタッフからどうせこれからも指導していくなら資格を持ち学童野球指導者として新しい形で指導していくことを勧められました。 話は少しそれますが、いわゆる学童野球は一般的にお父さんコーチが多く、自分の経験値のみで子供たちを指導し、怪我のケアや昔の理論で教えていることが多いようです。 ※あくまでも一般的に言われているだけですので、きちんと指導されている指導者もたくさんおられますので誤解のないようお願い致します。 学童野球指導者の能力不足が現在の野球人口減少の一要因と言われており、すそ野を拡げるためは欠かせないこともあったため、2019年に日本スポーツ協会の「軟式野球コーチ3」という上級資格を取得致しました。 今後、指導者を続けるかどうかわかりませんが。笑
話を戻すと、2021年1月より新6年生の新チームの活動がスタートしました。 寒い時期ではありますが、練習試合等も行いながらシーズンインに備えていきます。 また区大会前に毎年開催される地元エリアでのトーナメント大会もあり、他チームとの力量を比べるにはいい大会になっており、1回戦を順当?に勝ち上がることができ、その後も勢いついてまさかの初優勝。


【写真】東京中日スポーツ様ご提供。

初優勝の勢いをもって臨んだ春の区大会は、まさかの初戦敗退。子供たち好調を維持する難しさも味わいました。 春の区大会敗退後、練習試合をするも結果でないまま次の大会が始まりました。
初参加のトーナメント大会ではありましたが、1回戦、2回戦を勝利して優勝が目の前に見えてきた準決勝戦は、ミスが重なり残念ながら敗退。 でも、同率3位という結果を残すことができました。この学年は強いのやら弱いのやら不思議です。 子供たちは実力通りにいかないことが多いので、普段通りに動けるようにしていくのも指導者の大きな役目かと思っています。
自分自身も子供たちとともに日々成長していけるように、これからも頑張っていきたいと思います。
早く緊急事態宣言が解除され、夏の区大会が始まることを楽しみにしつつ、また春の雪辱を果たして上位進出を狙いたいと思っています。 その結果についてご興味ある方はご一報頂ければと思います。
こんな話ばかりしているとよく言われますが、
仕事もちゃんとしていますのでご安心ください。写真が1枚しかなかったので、恥ずかしながら自分の高校時代最後の紅白戦時の打席・守備での写真を掲載させて頂きます。
コロナ禍がいち早く収束し、各会員各社様のご発展と日本中の子供たちが普通に野球をできる日を願っております。
最後までお読み頂き感謝いたします。


【著者紹介】

会員交流委員
株式会社 オリコム 名古屋支社
支社長

横田 優一(よこた ゆういち)