リレーエッセイ

名古屋広告業協会会員によるリレーエッセイです。

2021年7月2日公開
第57回「バリ島放浪記を振り返り」

オリコム名古屋支社長横田様よりご紹介をいただきリレーエッセイのタスキをつなぐ三晃社の浅井です。 自己紹介を兼ねて、学生時代にカルチャーショックを受けたバリ島放浪記についてお話ししたいと思います。

◆「最後の楽園」バリ島との出会い

1986年当時、「地球の歩き方」に影響を受けていました私は、大学のサークル仲間からバリ島の格安航空券が手に入ると聞いて、行先や宿を決めずに、航空券だけ購入して若者の自由旅行の代名詞と言える「バックパッカー」気取りでバリ島へ旅立ちました。
日本から約8時間ほどでデンパサールの「ングラ・ライ国際空港」に到着。 当時は両替所とキヨスク程度のお店ぐらいしかない簡素な空港でしたし、ガラムというタバコの独特なスパイシーな香りが混じった生暖かな空気感もあり、とてもエキゾチックな印象でした。 前もって聞いていた情報を頼りに、まずは騙されないようにタクシーの交渉です。 バリ島の人は穏やかな人が多いのですが、周辺の島から出稼ぎできている良からぬ輩も多いので、相場を知っていない観光客、その中でも日本人はカモになることが多いとのことです。 そもそも物価が日本の10分の1ぐらいの感覚でしたので、大判振る舞いしてしまうのも仕方がないのかもしれません。 1万円をエクスチェンジすると100万ルピア程の大量の札束になりますのでおお金持ちになった気分が味わえます。
さて最初の街クタは、サンセットの美しいビーチがある人気スポットですが、ヌサドゥアのような高級リゾートというよりは気軽に泊まれる安い宿「ロスメン」が多く、我々のようなバックパッカーの長期滞在に適していました。 クタのような観光地では自分の家の離れにいくつかのバンガロー的な棟を持っていて観光客に貸していました。 (今でいう民泊ですね)エアコンはなく扇風機、シャワー(お湯ではなく水)がある程度でしたが、バリ人の普段の生活を垣間見ることができました。 朝早くから、母屋のキッチンからお手製のバナナパンケーキを焼くおいしいにおいがしてきます。 朝食は他に山盛りのフルーツ、バリコーヒーがお決まりです。 宿のお母さんが笹の葉で作った器にきれいな色の花などを乗せたチャナンと呼ばれるお供え物も部屋の前に置いてくれました。 (バリ・ヒンドゥーでは1日を平和に過ごせるよう神さまに見守ってもらうためにお供え物を捧げます。)
また地元民の食堂であるナイトマーケットでは格安でおいしいごはんにありつけます。 その中でもかにの量が半端なく多いチャーハン(50円ぐらい。そもそも物価が日本の10分の1ぐらいの感覚でした)がとてもおいしかったのを覚えています。 カエルも手羽先のようでおいしかったです。(笑)

◆旅の価値観を変えた「ウブド」でのスピリチュアルな体験

クタでの生活に飽きてきた頃、宿で知り合ったアメリカ人の情報で、「ウブド」がいいらしいということで、さっそく荷物をまとめて3輪小型トラックのベモ(後から調べたら日本から輸出されたダイハツ・ミゼットだったらしい)で「ウブド」へ出発しました。 観光地化されたクタとは違って、「神々の島」とも形容される神秘的なバリが凝縮されていました。ここウブドでの体験が私の旅行の価値観を大きく変えました。
バリ島は16世紀、マジャパヒト王国がイスラム勢力により衰退すると、王国の貴族、僧侶、工芸師などがジャワ島からバリ島に逃げてきたことにより、影絵芝居や絵画、木彫りなど現在のバリ・ヒンドゥー文化が開花したそうです。 その後、オランダ政府により、バリ島の伝統文化を保全する政策が打ち出されたことで、他の島から影響を受けないバリ島独自の王国となりました。
とりわけ「ウブド」はガムラン音楽、バリ舞踊、バリ絵画など、芸術の村として知られているだけあって、質の高い伝統的な文化や民芸品の数々を目にすることができました。 1932年にはチャーリー·チャップリンもバリ旅行に訪れた際、ウブドにいたく感銘を受けたそうです。 その後もバリの文化、スピリチュアルな体験を求めて数か月から数年バリに滞在して絵画、音楽、彫刻、ダンスなどを学び、さらには独自の芸術的な活動を始めたアーティストも多かったそうです。

ウブドで購入した絵画など

ウブドで知り合った画家から衝動買いした絵が今でも家宝となっております。
1930年代にオランダ人画家ルドルフ・ボネの影響によりウブドを中心に生まれた新しいスタイル。 村人の生活をテーマに、細密であるが、遠近法や立体感をつける画法を取り入れています。 ウブドには小さな村としては異例と思えるほど多くのバリ絵画美術館が集まっています。

◆毎夜レゴンダンスに酔いしれる。

ウブドの中心地にはウブド王宮「プリ・サレン・アグン」があり、王家の末裔が暮らしていました。 まさかと思いましたが、一般の人は入ることのできないこの王族のプライベイトエリアに旅行者のために解放しているゲストハウスがあって、運よくこの厳かな王宮に宿泊することができました。 王宮の前庭では毎夜レゴンダンスなどの宮廷舞踊を見ることができました。 宿泊客は一番前の特別席で鑑賞できる特典もあり、毎夜酔いしれました。 ダンスの特徴はガムランの伴奏に合わせて目をぎょろっと見開き、神が憑依したような頭の動き、宙を突くように動かされる指先です。 昼間、王宮内で子供たちが集まって練習をしているのをたまたま見ていたのですが、宮廷で踊れるのはこの中で選ばれた選抜隊。 女の子たちの憧れの存在だったのでしょうね。

◆雨季の季節(バリ島では11月〜3月)ならではの旅の醍醐味があります。

また「ウブド」は、バリのダイナミックな自然を堪能できるところでもあります。
渓谷の泉で沐浴している人や山間の美しい棚田では牛を使って水田を耕している男性など懐かしいアジアの原風景がありました。 さらに雨季の季節には田んぼではたくさんの蛍が見られます。 訪問した時期が幸いにも雨季だったので、田んぼの中にあった1本の木は数百匹はいるだろう蛍の光で輝き、まるでクリスマスツリーの様でした。 雨季の旅行を避ける方もいますが、むしろダイナミックなバリの自然を堪能できる季節でもあります。 強烈な雨が全て洗い流してくれるので、空気も緑もとても綺麗ですし、ドリアンやマンゴスチンをはじめランブータンやスターフルーツ、スネークフルーツといった珍しいトロピカルフルーツが美味しいのも雨期ならではの楽しみです。
お世話になった宿には、毎夜「トッケイ(学名:ゲッコー)」とういうとても愛嬌のあるヤモリが現れました。 鳴き声が「トッケイ、トッケイ」とかなり大きな声で鳴くのでうるさかったのですが、鳴けば鳴くほど幸運を呼び込むということを聞いてからは、ありがたく思いました。 今では観光地化された高級リゾートの印象が強いですが、当時のバリ島は素朴で手つかずの自然を堪能できる魅惑の国でした。

◆旅は人生を見つめ直す機会

長々と勢いで書いてしまいましたが、コロナ禍の前と後では価値観や旅のスタイルが一変する可能性が大きいことを危惧しております。 創業時のHISの澤田社長の名言「将来何に役立つかわからないけど人生観形成の機会になりうる旅に時間とお金を使うことも薦めたい。」と若者が自由に行ける旅のスタイルを提案してくれたことに当時の私たち大学生は触発されました。 コロナ禍になってライフスタイルはプリミティブ化、スロウな生活へシフトしていく中、またいつか、若者が旅で得られる尊い経験を味わって欲しいと切に願う今日この頃です。

【著者紹介】

クリエーティブ副委員長
広報委員
株式会社 三晃社
クリエイティブ局長

浅井 芳樹(あさい よしき)