名古屋広告業協会会員によるリレーエッセイです。
株式会社新東通信 代表取締役会長 谷喜久郎様のご指名で、リレーエッセイの第14走者を承りました三晃社の川村です。
私は、小さい頃より武士道精神を基本として、様式美と礼儀作法を磨き抜いた格闘技としての相撲に魅了され、また、相撲は弊社の業務との関わりも深いので、今回は、「大相撲(名古屋場所)」を取り上げ、想うところを記させていただきます。
■大相撲名古屋場所の始まり
大相撲名古屋場所は、1954年(昭和29年)2月、名古屋で初めて大相撲が準本場所として開催され、4年後の1958年(昭和33年)7月に本場所に昇格し、金山体育館で開催されました。
会場の金山体育館には冷房設備がなく、館内に氷柱が置かれたり、酸素の放出で涼を感じさせる対策が取られましたが、会場の熱気もあって、あまり効果もなく「南洋場所」「熱帯場所」とも呼ばれました。
弊社は、準本場所の時代から場内外の広告物を一手に取り扱うこととなり、現在に至っています。
■戦後の大相撲「黄金時代」の回顧
戦前・戦中生まれの方なら記憶に残っているかと思いますが、1950年代から1960年代は、体格のハンデを猛稽古と技能で補った「栃若」と、恵まれた体を生かしスケールの大きな相撲で圧倒した「柏鵬」の、タイプの違う2組の活躍が続いた時代がありました。
「栃若時代」
内掛けや二枚蹴りなど多彩な技とねばり強さで「マムシ」と恐れられた栃錦は、1955年(昭和30年)に第44代横綱に昇進。
179センチ、100キロそこそこの小さな体を猛稽古で鍛え上げました。
一方、「土俵の鬼」といわれた若乃花は、強靭な下半身を武器に1958年(昭和33年)横綱に昇進。
以後、2人は数々の熱戦を繰り広げ、いわゆる栃若時代を作り上げました。
「柏鵬時代」
この栃若と入れ替わるように台頭してきたのが柏戸と大鵬で、1961年(昭和36年)11月に、揃って横綱に昇進しました。
その当時、柏戸は22歳、大鵬は21歳で、若くて、長身・美男子の2人の横綱の誕生によって、1960年代は空前の大相撲人気に沸き立ちました。
「剛の柏戸」に対し、「柔の大鵬」といわれ、取り口の全く違う2人の対決は毎回大きな反響を呼びました。
「巨人、大鵬、卵焼き」の名文句が生まれたのもこの時代です。
こうした大相撲人気を支えた背景には、もう一つテレビ中継(栃若時代は白黒放送、柏鵬時代はカラー放送がスタート)により、全国の茶の間に熱戦の模様を伝えたことも大きく寄与したと考えられます。
更に、史上初の兄弟横綱を実現した「若貴時代」(1990~2000年頃)がありました。
平成の大横綱・貴乃花と天才的な技で館内を沸かせた三代目若乃花の兄弟横綱の誕生です。
会場には若い女性が増え、ワイドショーにも取り上げられるなど、大相撲は先の「栃若」や「柏鵬」時代を凌ぐ空前の大ブームとなり、満員御礼666日連続記録(1990~1997年頃)の立役者となりました。
■外国人力士の台頭
現在の相撲界は、持ち前の運動神経に加え、ハングリー精神を持って、日本人力士以上に健闘しているモンゴル出身力士たちが上位を席巻しています。
先の名古屋場所では、幕内42力士中、なんと18力士(43%)が外国人力士でした。
三代目若乃花以降、15年ほど日本人の横綱が生まれていない現実を見ますと、いささか寂しい気もしますが、国際化時代にあって才能あふれる優秀な外国人力士たちには、日本国技大相撲の真髄を遵守していただき、角界の発展に貢献していただきたいものです。
■相撲愛好家団体「溜会(たまりかい)」について
さて、日本相撲協会の事業全般を後援する相撲愛好家団体に「溜会」という組織があります。
私は名古屋場所「溜会」の会長として、微力ながら名古屋場所の事業推進のお手伝いをしています。
「溜会」会長としての業務は主に次の2つです。
一つは幕内力士の殊勲・技能・敢闘の三賞選考委員会への参加です。
千秋楽のお昼ごろに、日本相撲協会から審判部長ほか2名、溜会から3名、そしてNHK・スポーツ新聞社の記者など、約25名規模で三賞受賞者を選考します。
参加者から挙がった候補者の中から順次選考し、三賞の受賞者を決定します。
もう一つは、十両以下(序之口・序二段・三段目・幕下)優勝者の表彰です。
当日、幕下の全取組終了後、土俵上で各クラス優勝者に表彰状を授与します。
■大相撲(名古屋場所)の更なる発展に向けて
最後に、いち相撲ファンとして大相撲に寄せる期待や感想を述べさせていただきます。
一時低迷した大相撲も、最近では、ネットの活用やファン獲得に向けた諸施策を講じるとともに、横綱白鵬を筆頭に、人気の遠藤、スケールの大きな相撲が魅力の照ノ富士、モンゴルの怪物 逸ノ城など、実力を伴った個性派力士の活躍と相まって、再び大相撲人気が高まっています。
私も、今年の名古屋場所で実感しましたが、「スー女」と呼ばれる女性ファン層の拡大も見逃すことはできません。
今年、初場所から7月の名古屋場所(1998年以来、17年ぶりに15日間通しで大入りに沸いた)まで、4場所60日間満員御礼が、それを物語っています。
現在の相撲人気を一過性とすることなく、この人気を継続していくためにも、日本人横綱の早期誕生を望むのは私だけではないと思います。
ここで、次走者の方にバトンを渡したいと思います。