名古屋広告業協会会員によるリレーエッセイです。
俳句を始めたのは2004年夏。短い言葉の中に深いものがあるんじゃないかと漠然とした興味を持っていたところ、たまたま知人からの誘いがあって始めました。
以来、月イチのペースで句会を行っています。句会にはその季節に合った句を5句作って皆が持ち寄ります。それを誰の句かわからなくするために用紙に書き写し(清記)、それを回し読みして良いと思う句を5句選び(選句)、理由とともに発表(披講)し、点数がつけられます。最後が山口勝行先生(日本伝統俳句協会、俳句講座多数主宰)の講評と添削、最優秀句(特選句)の発表といった流れです。そして、終了後は必ず居酒屋で反省会。
実際に俳句を作っていくうちに気がついたことはいろいろとありましたが、その一つが「俳句脳」。つまり俳句をひねる、あるいは俳句的な境地を感じて表す部分が、自分のなかにも少しは存在することに気がつきました。俳句を始めたことによって、あっという驚きや美しいものへの感動、ちょっとしたひらめきなどが自分の中に芽生えてきたなという感じです。
恥ずかしながら始めた当時の拙句をひとつ。
篝火や舳先から見ゆ鵜飼船 沓九郎
(遠く暗闇から現れてくる鵜飼船。最初は篝火の焚かれている船の先端しか見えない幻想的な景色を詠みました。当時は岐阜支社に勤務。句によって当時の情景が甦ってきます。これも俳句の魅力のひとつでしょう。ちなみに私の俳号は深井沓九郎。深い句作ろう、なんちゃって)
あれから10数年。自分も句友もその分年を取りました。今、その俳句脳に微妙な変化が生まれてきたようです。これを進化と呼ぶか、あるいはボケてきたな・・・というかは意見が分かれるところです。月日を経るに従って、かつての俳句脳が様々なカタチに分化。美しいものへの感動を大脳が感知するとすれば、ひらめきや意外性などは大脳辺縁系で感知。してやったりの作品作りは、延髄、橋、中脳のいわゆる脳幹が担当し、人の作品に対する鋭い評価は間脳で処理。さらには句会メンバーからの酷評には海馬で対処といった具合(適当ですみません)。
こうして見ると、わが俳句脳は今まさに進化の途上・・・!? 最近のをひとつ。
炎天や自転車ますぐには行けず
(今年7月猛暑の日に詠んだ句。特選をいただきました。この感じわかってくれますよね)
さて、誰からも褒められるようなスーパー俳句を誕生させるには、まだまだわが俳句脳のリノベーションが欠かせません。栄養価の高い成分やビタミンの摂取につとめ、同時に体脂肪の無駄を削減し、ますます精進していきたいものです。
ま、何にしても脳の機能も衰えていくお年頃。好きな俳句で少しでも頭と心の活性化ができればと考える今日このごろです。最後にちょっと前の特選句
春愁やかつらとわかる人に会う 沓九郎
(お心当たりの方、ごめんなさい!)