名古屋広告業協会

名古屋広告業協会会員によるリレーエッセイです。

2020年6月16日公開
第51回「ネイティブ名古屋クリエイター2」

前回のエッセイに続き、もうひとつお仕事をご紹介する機会をいただけたので、
この東海地区を拠点とする医療法人 葵鐘会(きしょうかい)さんの「MOTHER BOOK」をご紹介いたします。

このエリアの産婦人科が世界へ打って出るためのプロモーショナルアイテム開発のお話です。

まず、いただいた課題背景はこうでした。
産婦人科に限らず、医療業界は広告規制が厳しいことで知られています。
その厳しい規制の中で、マスを使ったコミュニケーションだけでは自分たちの良さを伝えることに限界があるかもしれない。 クリエイティブの形にはこだわらないので、妊婦さんが「この産婦人科、いいな」と思い、他の妊婦さんに紹介したくなるようなファン化するクリエイティブをつくり、早期分娩予約数を増やせるようなコミュニケーションを実現してほしいというご依頼でした。
さらに産科医療の重要性、東海エリアを拠点とする我々の技術や取り組みを世界中の方に知っていただけるよう、カンヌのような世界的に注目されるアワードを目指していきたいと考えています。というお話でした。

(明確なオリエンをいただいたクライント:永友理事のインタビューがありますのでぜひご覧ください)
https://www.advertimes.com/20140703/article163160/

クライアントのオリエンは、社会貢献も見据えた明確なビジョンを持っていて、大変熱量のあるものでした。ご期待にお応えしたい気持ちはありつつも達成するためのハードルはめちゃくちゃ高く、さらにカンヌを獲ることなど出来るのか…。
それまで海外賞へ挑戦するもなかなか実を結ばなかった私は、クライアントのオーダーを実現させる難しさを承知の上でこの挑戦に腹をくくり、
『アイデアを出すまでに、かなりお時間をいただくことになります』とお伝えしたところ、
『真剣に取り組んでくれるなら、ずっと待ちます』という回答をいただきました。

それからというもの、他にも様々な業務を抱える中で時間を見つけてアイデアを考える毎日。しかし1ヶ月経っても、これだ!というアイデアは全く浮かびませんでした。

そんな中、上司の薦めもあり勉強のために2013年のカンヌライオンズのイベントに参加させていただく機会を得ました。 カンヌのオープニングイベントの華やかな空気と世界のエージェンシーやクリエイターが集う熱気を初めて目の当たりにした私は「場違いな場所にいる」と感じ、打ちのめされたことを今でも鮮明に覚えています。 しかし奇跡は起こり、私達チームがエントリーしていたコピーライターズクラブ名古屋の「STICKY NOTES ANNUAL」がデザイン部門で金賞を受賞したのです。

はじめて訪れたカンヌで登壇受賞という夢のような経験ができたのですが・・・帰国するとクライアントからの期待はさらに大きくなっており、カンヌから帰国後の数ヶ月は、それまで経験したことのないプレッシャーと闘う毎日が続きました。 ストイックすぎる性格もあり自身を追い込みすぎて体調を悪くしたほどです。

2013年 初めてのカンヌライオンズ
登壇受賞と同時にすごいプレッシャーとの戦いに…

チームで話し合いを重ねる中で、妊婦さんが経験するつわりや、体の変化への不安、その結果生じるマタニティブルーなどの気持ちを少しでも軽くできるようなものをつくることができないだろうか?と考えはじめます。「妊婦さんにとって役に立つデザインってなんだろう」と。たとえば、おなかの中の赤ちゃんの様子を知るエデュケーション機能により、不安な気持ちを解消できないだろうか?また体型が変わることを美しくポジティブに描くことで、不安を和らげることができないだろうか?など。様々なアイデアやデザインの可能性を丁寧に削り出した結果、「MOTHER BOOK」の原型となるアイデアがぼんやりと浮かんできました。

アイデアは思い付いたのですが、形に起こし製品として完成させることは簡単ではありません。携わるチームと一緒に、トライアンドエラーを繰り返します。誰も見たことがないようなものを作るには、当然多くの失敗がつきまといます。「実現できる方法はどこかに必ずあるはず!」と、チームで検証をしつづけ突破口を模索する日々が続きました。

「MOTHER BOOK」のアイデアにたどり着くまでにボツになった企画案の数は、約200くらいでしょうか。これだ!というアイデアがなかなか浮かばず、かなり苦しみました。長期間、本当に我慢強く待ってくださったクライアントに、感謝するばかりです。

「MOTHER BOOK」のメインビジュアルとなる妊婦さんのフォルムを美しく見せるための形を追求
レンダリングした3D→2Dに変換し型紙を作成

CTスキャンの輪切り画像のような型紙を作り…

その大量の型紙をアートディレクターの竹田さんが一枚一枚カッターで切って糊で貼り合わせ、
美しいフォルムを検証していきました
こうした制作スタッフ一人一人の努力の集積で「MOTHER BOOK」が出来ています

デザイナーが複数人いてそれぞれの個性が違うので、40ページ分のデザイントーンをそろえる為、
床にずらっと並べ「美しさ・機能性・物語性」を検証
妊婦さんが飽きることなく楽しく学び、そのときの気持ちを書き込みやすいように設計しています

努力の積み重ねで、遂に「MOTHER BOOK」が完成。
妊娠期間の40週間=40ページで構成されています。ページをめくることで「赤ちゃんの成長過程=美しいお腹の膨らみ」を感じる3Dの記録本になっています。体内の変化についてもグラフィカルな解説で描かれており、週を追う妊婦さんの体の中でどんな神秘的なことが起きているかを、見て知ることができます。妊娠期間中に経験したことや感じたことを妊婦さんやご家族が自由に綴り、生まれてくる生命の誕生を祝福する本が完成しました。
さらに嬉しいことに「MOTHER BOOK」は、2014年CANNES LIONSに新設されたLIONS HEALTHでグランプリを受賞することが出来たのです。


審査委員長のKathy Delaney氏(Saatchi & Saatchi Wellness/CCO )から、
【グランプリに託したメッセージはCelebration of Life〜生命への賞賛〜。 通常、広告業界は多くの人たちに役立つ、世界を変えるようなアイデアを考えます。 しかし一番効果的な広告というのは、まず一人の人間にフォーカスし、その人との絆を考え、そこから大きなうねりをつくりだしていくもの。
「MOTHER BOOK」は美しいデザインクラフトとともに、それを見事に成し遂げていました】
というコメントをいただきました。
LIONS HEALTHの初代グランプリを決める際、審査員の方々にかなり大きなプレッシャーがかかったそうです。 長時間のディスカッションが行われ、最後は満場一致で「MOTHER BOOK」がグランプリに選ばれたとのことでした。

地域のクリエイターと産婦人科が世界へ向けて挑戦し、最高の賞賛をいただけたのです。

カンヌでグランプリや金賞など合計5つのライオントロフィーをゲットという快挙により、「MOTHER BOOK」は世界中のテレビ・ラジオ・新聞・雑誌などたくさんのメディアで取り上げられました。その度にクライアントが喜んでくださる姿を拝見できたことは本当に嬉しい経験でした。この東海エリアの病院が、クリエイティブを通じて、世界中の方々に知っていただくことができたのです。もともと医療法人 葵鐘会(きしょうかい)さんで早期分娩予約をしてくださった方へのプロモーショナルアイテムだった「MOTHER BOOK」ですが、世界中の方からの要望により、今では一般購入可能となっています。クライアントには5年経った今でも様々なシーンで使っていただいていますし、芸能界から私の知人に至るまで、妊娠期間中に「MOTHER BOOK」を使ってくれた方達がたくさんいます。

2014年 新設されたLIONS HEALTHでグランプリを受賞

2015年には私自身がカンヌ審査員として招待を受け、エントリーされている仕事や世界各地から集められた審査員の方々から、さまざまな考え方やデザイン視点などを吸収し学ぶことができました。現在はその経験を活かし、企業の店舗デザインから商品開発に至るまでの幅広いブランディングや、テクノロジーベースのクリエイター達と共同でデバイス開発に挑戦しています。


近年は、このエリアならではの「産業や文化」と「クリエイティブ」をかけあわせ広く発信する【グローカル・クリエイティブ】(グローバル(国際的)に通用する能力や視点、経験を持ちつつ、地域社会・地域経済(ローカル)の活性化や発展に貢献して行くクリエイティブ)に取り組んでいます。

「自分が居る場所が、自分にとって最高のクリエイティブな環境である」という志を持っている人たち。正直名古屋にどれだけいるか分かりません。しかし、一緒に仕事をしている仲間、後輩、そしてワークショップなどで出会う学生たちとの会話の中で、そういったマインドを持ってくれているかなと感じる機会が、最近少しずつ増えてきました。
そんな彼らの成長を見守りつつ、ワクワクするクリエイティブに自らも挑戦しつづけ、このエリアの「個性」や「役に立つもの」をもっと発信していきたいなと思っています。