名古屋広告業協会会員によるリレーエッセイです。
誰もが経験したことあると思いますが、父に何度か自分の名前のことを聞いたことがあります。
昭和41年当時東京にいた父母は近くの寺院に相談し、倫史(ともふみ)という名前を
授かったらしいのですが、
この名前の中には歴史の「史」があること。
「倫史」という名前は初対面の方になかなか読んでもらえないこと。
いろいろな場面で出てくる「倫」という字のこと。
私のここまでの人生に何かしら関係してきたこの名前とともに
リレーエッセイを書いてみたいと思います。
はじめまして。三晃社の浅井様よりご紹介をいただきました大広WEDOの成田倫史です。
東京オリンピック開幕を前に筆を執ることとなりました。
よろしくお付き合いくださいますようお願いいたします。
歴史が好きです。名前に縁を感じます。大河ドラマは7割くらい見てきました。
記憶力に自信がないので細かなシーンまではすぐ忘れてしまいますが、
初めての大河ドラマは「風と雲と虹と」。鮮烈に記憶に刻まれています。
1976年放送、平安時代中期の関東に生きた平将門と、朝廷に反乱を起こした藤原純友。
二人の武将の歴史ドラマで、加藤剛、緒形拳、真野響子…すごいメンバーでした。
黒澤映画を彷彿とさせる世界観の中で、略奪愛、弓がこめかみに刺さるシーン、ラブシーン。
何も知らない10歳の私の心臓は毎週ブルブル震えあがっていたのを覚えています。
意味はよくわかってなかったと思うのです。
調べてみたら音楽は「オーケストラがやってきた」の山本直純さんだったんですね。
日曜夜6時の世界遺産も歴史つながりということでなんとなく毎週見ています。
きっと人生で行くことのない場所を毎週見せてくれるからという理由かなと、
このエッセイを書いていて気づきました。
NHK朝ドラもあまちゃん以降は7割がた見ています。
先週もまた経験したことのない量の涙があふれかえってしまいました。人には見せられません。
涙腺がどんどん緩み続けています。
歴史スペクタクル物の映画もいいですね。ローマ時代の覚えきれない長さのカタカナの名前が
たくさん出てくるやつ。史実に基づきながら想像でつくられているのはわかっているのですが、
トロイとかヘラクレスとか聞こえてくると不思議にドキドキします。
あとは、昭和を描くWOWWOWドラマ、ファミリーヒストリー、歴史秘話ヒストリアなどなど。
歴史って今を生きる時代に何かしらヒントを示してくれる、そして人は惹きこまれていくのだと
思いますがどうなのでしょうね。私たちの日常に起こることの参考にできているのかどうか。
そんなこと考えている余裕はないということなのか、それともいつの間にか参考にしているものなのか。
そして、私の歴史はこの協会にも数多くいらっしゃいます三晃社からスタートしました。
平成元年三晃社に新卒採用ののち、縁あって35歳時に大広名古屋支社へ移籍し現在に至ります。
どの業界も同じなんでしょうが変化が早すぎて。
いろいろな局面を経験していたら60歳定年まであと5年という年齢になっていました。
セカンドライフ?まだ真剣になれない今日この頃です。
父の生まれた名古屋市港区南陽町というのんびりした町、
そこが私の2歳から大学進学まで過ごした実家です。
中学の時、大人への階段を急ぐ刺繡入り学ランを身にまとう強面のグループのリーダーから
「ともふみ!」と名前を大きな声で呼んでもらった時、
あれ?仲間みたい接してくれることにとてもうれしくて「なにー?」と笑顔で返したのを覚えています。
金八先生世代の私たちの中学は、週末にガラスが割られたり、オートバイが乱入してきたり、
先生が生徒と…になったり。
そんな空気感であっても生徒同士は下の名前で楽しく呼び合っていましたね。
小学校からスライド進級する南陽中学には、初対面という概念はなく、
なんとなく全員の下の名前を、漢字ではなく顔とフレーズで覚えていましたので。
やがて高校、大学、社会人と初対面が一気にふえてきた時、「倫史?なんて読むのですか?」
という会話が生まれることに気づきました。
はじめは、読めない名前ってどうなのだろうかと面倒に感じたこともあったのですが、
そうか。自己紹介の時にコミュニケーションを生むんだ。そういうことか。
それから名前に「倫」がつく人、「史」がつく人に勝手に親近感を感じてきました。
そういうのって皆さんにもありますよね。
ただ、さすがにこの漢字で同姓同名はいないだろうなと思っていたところ、
ネット社会になってエゴサーチをした際に、一人いたんですね。
フランスへ留学していて地域貢献されている人でした。東野圭吾の小説に出てきそうなドラマを
想像しながらいつか会って話してみたいというのが私の老後の楽しみかもしれません。
ちなみに、私の一人娘には、まったく逆の発想で名前を付けることとなりました。
私の場合は「なんて読むんですか?」ですが、
娘には日本人すべてが必ず読めて「成田~さんですよね」と、
1回で記憶に残るひらがな2文字です。
広告の世界に進んで、コピーライターをやってみなさいと会社に決められ、広告を人に記憶させる、
覚えてもらう、買ってもらう、ファンになる、また買ってもらう。
とか考えていたからなのかどうかはよく覚えていませんが、
いつのまにか自分の経験の逆転発想で考えていたことを覚えています。
娘は現在社会人2年目。はじめての地方都市で勤務していますが
命名企画意図は功を奏しているとの報告を受けています。
コピーの世界も広告の世界もほんとうに様変わりしました。
これまで出逢ったすべての人との関りからたどり着くことのできたTCCは人生の宝です。
コピーに明け暮れた時代とともに大広名古屋支社も世代交代と時代の変わり目の
ど真ん中にいるのだと思うのですが、
今の自分に何ができるのかを毎日模索しながらなんとか生きています。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色。
盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし…
大学時代を京都で過ごしたからなのか、
平家物語の冒頭がこの年になって身に沁みてきました。
世の中激しく変化して、不条理だらけで、それでも前に進んでいかなくてはいけなくて、
私の名前の倫=人が修め、守るべきみち。のり。すじみち。
どう考えても名前負けしているのですが(笑)
この名前の意味に添ういろんな判断がとても難しい世の中だと感じています。
この春、私のまわりで新しいスタートをきる決断をした人が突然たくさん現れることとなりました。
これは、時代の大きな流れの中ではごく当たり前のことで、
たまたま身近にいなかっただけなのかなと今では思っていますが、
初めて経験することがどんどん増えてきて毎日耐久レースに出場している感覚です。
一方で、コロナ禍で従来では何時間かけても実現できなかった、
ありえなかったことが一夜にして改革できたとか。
同様に、新しいことを始めるチャンスになるとも感じていて、
時間の使い方を以前より考えるようになりました。
国政と国民。会社と個人。企業と生活者。この間に潜むチャンス。
緊急事態になってはじめてその実態や本質が浮き彫りになり、そこに何かがあるように思います。
若い人は大変ですがあきらめていたことにもう一度向き合える大きなチャンス。
私は社会人最終コーナーなので「倫=人が修め、守るべきみち。のり。すじみち。」の軸足を
どこに置くべきか日々奮闘中。
55歳という年齢はそのようなタイミングなのかもしれないのかなと。
ここまで、「なまえと生きてきた」お話におつきあいいただきありがとうございました。
最後に。
私の母のファミリーヒストリーは長野県下伊那郡平谷村という長野県一小さな村からはじまっています。
私は幼少期よりこの村で過ごした夏休み期間中、人の営みの原点のようなものを
数多く見聞きしてきました。虫を追いかけ、川遊びし、盆踊りに大人の下駄をはいて浮足立ち、
村の山々に響き渡る花火を見上げたあの夏休みを時々思い出します。
日本の夏のすべてがそこにありました。
私の原点はものすごくアナログにできていて、
時代がひとまわりした後、このアナログ感が見直されるような気がしてなりません。
時代が変貌すればするだけ本質がくっきり見えてくる?
名古屋の広告の世界に身を置きたくさんの夢を追い続け、ひとまわりして本質とは何かに向き合う。
コロナ禍でいろいろ失ったものもあるかもしれませんが、
必ず名古屋力はこれまで以上にたくましく大きく飛躍する時が来ると確信しています。
残された時間は限られていると思いますが
何かしらお役に立てればと思っています。よろしくお願いいたします。