名古屋広告業協会会員によるリレーエッセイです。
リレーエッセイの第9走者を承りました(株)I&S BBDO名古屋支社の谷口です。
外資系の広告代理店として頑張っております。
しかしながら、当支社は名古屋に進出して58年目を迎えております。
当時の社名は第一広告社でしたが1986年にI&Sになり2000年に現在のI&S BBDOと諸々の事情で3回会社名を変えて参りました。
リレーエッセイのバトンを㈱DGコミュニケーションズ名古屋支社の兼氏様から渡され、新春にふさわしい話題を・・・と考えておりましたがなかなか良い案もうかばずに師走を迎えてしまいました。
私は、大府市の生まれで、54歳のこの年までこの地に住んでいますが、毎年大晦日に地元の氏神様の「熱田神社」へ2年参りに出かけます。
1年の反省をしつつ新しい年のお願いを神様に毎年図々しくお願いに50年近く出かけております。
「熱田神社」はあの有名な「熱田神宮」ではありませんが、創建は、1441年(嘉吉元年)。
日本武尊が東夷征伐の途中、この地で休息されたという伝説があり、その御休跡に社を創建したのがはじまりとか…日本武尊から熱田神宮と縁があるのではと思います。
江戸末期までは小さな境内と小さな本殿だけの神社だったそうですが、明治から昭和にかけて寄進が相次ぎ、広大な境内地と大きな社殿を構えるに至ったそうです。
また地元の人たちは、厄年の年代が集まり寄付をしてきました。
私の代は拝殿の右側通路を整備して、次の代が左側通路と何十年にわたり続いています。
この風習は知多と西三河ではたいていの地区には残っているはずです。
さて、ここからが本題です。その名古屋の誇る熱田神宮ですが、たまたま手にした本でこんなお話を読みました。
「楊貴妃のお墓が、熱田神宮にある!」というのです。 その後、いろいろと調べてみたのですが、どうやらウワサは本当?のようで、いまやパワースポットになっているという情報まで飛び交っていました。 「名古屋人も知らない隠れパワースポット」というネタですので、真偽の責任は負いかねますが、私なりに調査した情報をご紹介しましょう。
そのお墓は、熱田神宮の本殿から少し外れた場所にあり、「清水社」という社で、一般には、「おしみずさま」と呼ばれており、そこにはキレイな湧き水があります。
なんと、この湧き水の奥にある石が、楊貴妃の墓の一部だというのです。そこにあります案内板には、「お清水 湧き水の中にある苔むした石は、享禄の古図(一五二九年頃)にも描かれている楊貴妃の石塔の一部との説もあり三度水をかけて祈念すると願い事がかない、このみずで肌を洗えばきれいになるとも言われている。」とありました。 もちろん、その言い伝えには、ちゃんとしたストーリーもついています。
中国の皇帝が、日本を攻めようとしているとき、それを食い止めるために、熱田の大神が、楊貴妃の姿となって、皇帝の心を虜にして政治を混乱させ、日本の蓬莱(現在の名古屋)への出兵計画をつぶした、といいます。 その後、楊貴妃は処刑されてしまいますが、魂は熱田神宮に戻ってきて本宮の奥にそっと葬られたそうです。 熱田の大神は草薙神剣であり、天照大神の御霊代でありますから楊貴妃に日本の神様のトップが化けて日本を救ったのでしょうか?
実は、楊貴妃が日本で亡くなったという可能性はかなり高いらしく、日本神話とも関わりがあるそうで、中国の考古学者も調査して、それを証明できると結論づけたとか…。 山口県の二尊寺にも墓があるというハナシですので、そちらも調べてみようかと思っています。
世界三代美女といわれる楊貴妃がこの名古屋と関わりがあったというだけでも嬉しくなってしまいます。 また、伊勢神宮の次に格式が高いともいわれる熱田神宮にこのような話が語り継がれていることは、昔の人たちの豊かな想像力と包容力の大きさを感じます。 熱田神宮の「こころの小径」を散策してしばし悠久のロマンを味わってみるのも何か心躍る一瞬ではないでしょうか。 この話だけは、私にとって、都市伝説で終わって欲しくない物語として、これからもじっくりと検証していきたいと思っています。 ぜひ一度皆さんも熱田神宮の「こころの小径」を散策してみてください。