名古屋広告業協会会員によるリレーエッセイです。
前号で総合広告の畑さんも書いていらっしゃいましたが、趣味はと聞かれると、「読書と音楽」と応えます。まあ、一番無難な応えだから。ただ音楽は観賞と演奏、あるいはその両方ともあるでしょうが、私はもっぱら聴くだけ。
そこで、読書について。こちらは特に決めたジャンルはありません。手当たりしだい、乱読です。
大阪に勤務していた2001年夏、土佐堀通りと四ツ橋筋の交差点角にけったいな形をしたビルを見つけました。そのけったいなビルが小説「土佐堀川」を読むきっかけを作ってくれたのですが、それが今、NHKテレビジョン朝の連続テレビ小説「あさが来た」の主人公、広岡浅子が設立したとされる大同生命大阪本社ビルでした。このドラマの原案本とされる「土佐堀川」の初版は、1988年10月5日です。30年近く前に初版が発行され、今年の4月に新装改版されました。連続テレビ小説に取り上げられたことでまた注目されています。
この書を著した古川智映子は、今83歳。かなりのお年です。ほかの作品は、「風化の城―弘前城満天姫」・・・・津軽藩主信枚に嫁いだ徳川家康の養女、満天姫の波乱の生涯。
「赤き心を―おんな勤皇志士・松尾多勢子」・・・・52歳で志を立て、信州飯田から京へのぼった歌人・多勢子は、岩倉具視の命を助け、孝明天皇暗殺の幕府方の蜜謀を探り出すなど命がけで国事に奔走する―知られざる実在の人物に光をあてた書き下ろし歴史小説などがあります。
この作家は、歴史上の女性を取り上げた作品が見受けられます。誰もが知っているというわけではなく、知る人ぞ知るという女性に光をあてて。
産経新聞のネットニュースの取材では、56歳の時に書いた小説「土佐堀川」が今頃になって取り上げられたのが驚きだと話しています。
彼女は同郷の研究者と結婚したそうです。素敵な家を建て、いい家庭を作ることに熱中したけれども、それはいともあっさりと崩壊してしまいました。32歳の時だったそうです。
どうやって生きていったらいいのか、呆然自失の時期を経て、何か自分なりのものを書きたいと切望するようになります。そんな時、彼女が手に入れたのが高群逸枝の「大日本女性人名辞書」(初版・昭和11年、厚生閣)でした。そこに広岡浅子の名前を見つけます。
高群逸枝は日本で初めての女性の人名辞典「大日本女性人名辞書」を出しました。「我国の歴史文献に現れた一切の著明なる女性を網羅する」として神話的人物から現代人(当時・物故者)まで1700人を収録しています。
その中でなぜ14行しか記述のなかった広岡浅子を取り上げたのか、古川智映子は次のように言っています。
「私はあまり古典に興味はない。近代の人に関心を寄せました。これは数が少なかった。結構知った人も多い中で浅子は初めての名前。こんな人がいたなんてという驚き。なんといってもピストル携行というくだりが魅力でした。」
資料が少ない中、実際に京都や大阪を訪れ取材したそうです。
「調べ、書いているうちに私まで元気が出てきたの。離婚で自分のことを日本一運の悪い女だと思っていましたが、強運の浅子さんの運をもらえるようで。」
不運に見舞われたあとに完成させた作品だったんですね。27年という歳月を経ましたが、世間の注目を浴びる作品となって、ましてやNHKの連続テレビ小説の原案になるなんて。